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hirano関数@2014/2/28 11:46
スニペット「関係ない」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「関係ない」です。

 

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一般的に言って塩や砂糖は旨いものだが、この旨いもの二つがいっぺんにやって来るともなると、じつに旨い。豚肉生姜焼きのタレという物が世間には存在して発売されているけれども、あれは、塩と砂糖で以てかなり実現できる。塩を醤油とすればさらに良い。卸した生姜に醤油を入れて砂糖を入れればよい。塩も砂糖も旨いが、両者が手を結んだとき、人類がたいへん喜ぶ結果が生じる。ハッピーターンの粉は、ただ塩と砂糖とを比率よろしく混ぜるだけでかなり再現可能だということは案外知られている。

 

だがそれは関係ない。今はそんなことを考えている場合ではないのだ。

 

犬が好きか、猫が好きか、というので他人の性格をむやみに診断したがる人が時折いる。地球上には兎、亀、文鳥、九官鳥、ハムスター、ネオンテトラ、ピラニア、馬、象、麒麟、大熊猫(パンダ)、たつのおとしご、おこじょ、タスマニアデビル、ミイデラゴミムシ、アホロートル、メソポタミアハナスッポンといった生物たちもいるはずなのだがなぜか、犬猫を持ち出す。犬猫の単純二項対立構造を以て、人類を一刀両断してみせるのだ。その説によれば何でも、犬好きは、社交的で寂しがり屋。猫好きは、内向的でちょっとした変わり者。というのが大方よく聞かれるところだろう。

 

だがそれは関係ない。今はそんなことを考えている場合ではないのだ。

 

桃太郎は、その話を誰もが語れるほどによく知っているのだが、金太郎は、どうもはっきりしないようだ。まさかり担いで、熊と相撲を取って、くらいしか出て来ない。誰に話させても皆、まさかり担いで、熊を相撲を取って、と答えるのはまるで金太郎飴みたいだ。その上、どうかすると桃太郎とごた混ぜにして、熊を退治に出掛けてしまう怖れがある。無実の熊が可哀想である。ごた混ぜにするなら、そう難しいことを考えずとも、鬼退治で良い。桃太郎も金太郎も、鬼退治をやったという点において共通している。ただ違うのは、桃太郎は頭領として出陣したのに対し、金太郎は飽くまでも一部下に留まるという点であろう。とは言っても、桃太郎が従えた部下とは禽獣ばかりだから、桃太郎もそう偉いわけではあるまい。

 

だがそれは関係ない。今はそんなことを考えている場合ではないのだ。

 

火星人から見ると、地球人は随分とおかしな種族なのだと言う。知り合いの火星人に聞いたのだから確かである。そいつはどこにいるのだと尋ねてはいけない。火星人は騒動を好まない。さて地球人のどこが変かと言うと、 H2O ばかり飲む。地球がやたらに水っぽい星だものだから、ごくごく H2O を飲んで平気でいる。そんなに H2O ばかり飲んでは身体を悪くしやしないかと、余所事ながら火星人は心配になるそうだ。それから地球人は、ちょっと気温が下がっただけですぐ寒がる。5 ℃くらいで、寒い寒いと叫んで縮こまっている。そんなヤワなことでは、0 ℃になったらどうするのだ。マイナス 140 ℃になったらどうするのだ。宇宙は広く、寒い場所もだいぶ多いのに、温暖な地球環境に甘えてやたらに寒がるようでは地球人の将来は危うい。もっと身体を鍛えておくべきではないのか、とこれまた余所事ながら火星人は心配になるそうだ。火星人は優しい心を持っている。

 

だがそれは関係ない。今はそんなことを考えている場合ではないのだ。

 

谷圭悟は今日、高校から帰るとき、何やら手紙つきのバレンタインチョコレートをもらって、舞い上がっているところである。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「象」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2014/2/27 11:34
スニペット「鍋」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「鍋」です。

 

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鍋島直行は先日、仕事の都合で佐賀県に引越して来た。

 

九州に住むことになったのは初めてである。妻子はまだない。気楽な独り住まいである。雑草がぼうぼうしている庭らしき地面に面した、二階建てアパートの一階、一○六号室が、直行のこれからの新居である。

 

今の佐賀県、肥前の藩主は鍋島で、鍋島と来れば化け猫がニャーとまとわり付いている。

 

随分昔の話だから忘れてしまって良さそうなものだが、化け猫のほうでニャーと忘れさせないからどうしようもない。鍋島家の末裔が現代もどこかにいらっしゃると思うが、その人としてもさぞかし迷惑だろう。旧藩主という由緒ある名家の、鍋島と名乗った途端に、人々から化け猫のことばかりニャーニャーうるさく尋ねられて育ったに違いない。

 

鍋島には他にも、あの美しい磁器がある、死ヌ事ト見付タリの『葉隠』がある、薩長土肥の肥だ、とさまざまの由緒があってたいへん立派なものなのであるが、ニャーと来られるとたちまち厄介なことになる。鍋島としては、かつての主君たる龍造寺家に対してどうしても、ある種の負い目を感じずにはいられないのだろうと思う。その辺りの微妙な消息が深く作用した結果、鍋島騒動は世間によく広まったとも考えられる。だからニャーには困るだろうと思う。

 

鍋島直行の鍋島は、そういったことと一切関係ない。

 

ないはずである。実家の血筋がじつは古い名家だなんて父母からも親戚からも聞いたことがないし、聞いたとしても第一信じられない。もしそれなら家の裏手辺りに少し崩れかかった土蔵の一つもあり、重たい葛籠の十や二十も収まっており、古びた巻物の百や二百も収まっているのでなくてはならん。

 

そんな物は姿形も見なかった。公団住宅と似たり寄ったりの平凡なマンションが、直行の育った家である。それで充分だった。伝統と光栄あるご立派な家なんぞに生まれるのは、どう考えたって窮屈でやり切れないに違いない、ご免蒙る。直行はそう思う。

 

直行は新居にのんびり座り込んで、あるいはときどき立ち上がって、引越しの荷の、幾つか解き残したやつをやっつけていた。

 

片手で持てるほどの大きさの、段ボール箱がある。おや、これは何を詰めたのだっけ。直行は思い出せなかった。ガムテープをひっぺがして開いてみると、菜箸やら、缶詰やら、塩やら砂糖やら、何でも台所にある細々とした物を手当り次第に放り込んだのだった。

 

変なことに直行は気が付いた。中に、かつお節の袋がある。そんな物を直行は使った覚えがない。そもそも買った覚えがない。

 

どこからかニャーと声がした。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「関係ない」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2014/2/26 11:50
スニペット「化石」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「化石」です。

 

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ゴビ砂漠の語尾には余計なものが付いている、というのは、こよなく正当な駄洒落であってその通り受け入れる他ない。サハラ砂漠である。チゲ鍋である。

 

そこで語尾をすっきり取り除いてゴビと呼ぶことにして、ゴビにはまだ余計なものがある。人によっては余計なものであり、人によっては宝の山である。主に、少年と、少年の心のまま育った考生物学者とが歓喜する宝が埋もれている。

 

寺尾礼子は、化石を一つ持っている。いかにも本物らしいが、そして手に入れたとき本物だと聞いているのだが、果たして本物かどうか疑わしいものだと思っている。

 

トリケラトプスの骨の欠片だと言うのである。トリケラトプスというのが怪しい。こういう物は、エピデンドロサウルスだのディプロドクスだのプロサウロロフスだの、小学二年生の男の子なら知っているかも知れないが一般には全く訳の分からぬ名の、恐竜の骨の欠片であってもらいたい。そのほうが信憑性がある。

 

ただ礼子は、本物でなくっても構わないと思っている。我が家にはトリケラトプスの骨がある。そう考えるとたいへん遥かな心地がする。

 

世の中には、海外服飾ブランドの商品を喜ぶ人もある。昔の人は、藩のお殿様から賜った扇やら硯やらの類を喜んだ。同じことだろう、と礼子は思う。

 

同じでないのは、何とも見栄えがしないということである。

 

海外服飾ブランドの商品は、趣味が良いものでも、ロゴマークをごてごて飾った悪趣味なものでも、ともかく美しく見られるようにはなっている。少なくとも、美しいと主張したいのだなということだけは最低限、伝わる。

 

そこへ行くと化石などは、焦げ付いた水飴を泥に落として三日三晩置いてから煙草の吸殻を所構わず押しつけましたという調子の、醜い見栄えの代物である。褐色で、斑で、黒々としている。 

 

美しいとは一体何だろうか。この醜い化石は、美しいのである。美しいと、思う。あるいはこれは、《美》とは違う観念なのかも知れない。悠久の時を超えて来たことへの崇敬の念、といったようなことだろうか。

 

礼子は、自分の容貌について長く悩んでいたことがある。今はそうでない。

 

地質学的尺度で言えば、人生なんて刹那である。でも礼子は、悠久の時を超えて来たなあと思うことが時折ある。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「鍋」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2014/2/25 11:44
スニペット「茶」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「茶」です。

 

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曼荼羅というものがある。唸るほど溢れるほど、はちきれんばかりに仏がどっさり集合している、あの意匠だ。胎蔵がどうとか言うことはよく分からないのだが、そして別段研究してみるつもりも無いのだが、三津嶋寛司は近頃何だか曼荼羅が気になっている。

 

気になるならひとつ楽しみにでも研究してみれば良いのに、そうしない。三津嶋は、怠惰を人生の基底として世を渡っていると見える平凡な男だ。ただ、ぼんやりと曼荼羅を気にしている。

 

曼荼羅がこうも気になるものだとは思いも拠らなかった。つまり、なるほどあれは、そのように出来ているのだなと三津嶋は考える。気にすればする程、もっと気になるように出来ている。あちらさんはただ大人しく無言でいるだけなのに、こちらが考えさせられる。およそ教化ということをするにおいて、最も上品な態度だ。逆に最も下品なのが、祟りや現世利益を手づるに教化することだ、と比較してみれば分かる。

 

以前の三津嶋は、こんなに曼荼羅を気にする男ではなかった。いつの間にやら曼荼羅だ。

 

三津嶋の、曼荼羅に関する思い出と言えば、学校の社会科の試験で曼茶羅と書いてバツを喰ったことがあるくらいのものだ。曼茶羅でバツ喰ったことのある人は多そうだから、その意味では三津嶋はますます平凡な男と言える。教師のほうも、つい漢字で書かせてみたくなるのに違いない。その気持ちはよく分かる、自分がもし教師ならやっぱり漢字で書かせてみるだろうと三津嶋は思う。自然の人情というものだ。かくして、日本各地の学校には曼茶羅が続々と現れることになる。はちきれんばかりの曼荼羅のニセモノ群だ。

 

気になるというのは、そんなことを気にしているのではなかった。三津嶋が気にしているのは、そういう些事ではなくって、曼荼羅そのものだ。

 

何がきっかけで一体そうも曼荼羅が気になるのか、と三津嶋に尋ねる人があるかも知れない。すると三津嶋は困惑するだろう。何しろ、いつの間にやら曼荼羅だから、どうにも説明のしようが無い。無邪気で可愛い自然主義者みたいな、言語で以てありのまま全てを言い尽くせるといったような子供らしい信条なんぞ、三津嶋は備えてない。薬にしたくも備えてない。ゆえにますます三津嶋は、怠惰で平凡な男に見える。実際そうなのだから特に言うべきことも無い。

 

怠惰でないのは、曼荼羅を作る者だ。

 

幾人で手分けして作るものなのか、幾年間を費やして完成するものなのかといった、曼荼羅における言わば、相場感もよく掴めない。しかし、怖るべく巨大な精力を注いで出来る物だということは確かだ。

 

一枚の曼荼羅に生涯を捧げ尽くした職人などというのも、昔は存外ごろごろいたのではないか。現代にだって、ある一人の小説家の分析にひたすら従事する人や、一片の化石の発掘に命を捧げて悔いない様子の人などは珍しくない。

 

それ以外何もしないのだから、社会的に見て、怠惰と言えば怠惰だろう。生産性の悪いこと夥しい。まず成果が上がるかどうかからして不明なのだ。しかしそれは怠惰でない。

 

彼らは、どんな思いをしていたのか。どのように思い続けたのか。そんなことを考えると、三津嶋はやっぱり曼荼羅のことが気になって仕方ない。訳の分からぬ力が、水がひと雫ずつ溜まるように溜まって来るような、三津嶋は最近そんな感じを覚えることがあるのだ。そうして怠惰にぼんやりと曼荼羅を気にしている。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「化石」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載