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hirano関数@2013/10/30 11:13
スニペット「豆」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「豆」です。

 

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「それにね大体、アイスコーヒーなんか注文するときもいつも S サイズしか頼まない所からして、何となく情けない感じがするのよ。あいつは、奴はですな、ひょっとして、いわゆるひとつの、マザコン男なのではないでしょうか。ねえ菜穂もそう思わない」

 

そう喋りながら香山夕美は豆をかじっている。

 

「ケチな男はだいたい、都会生まれで、一人息子で、過保護に育てられた傾向があるって言うじゃない兄弟はいないって言ってたし。ああきっと、中学校卒業するくらいまで母親から貴志ちゃーんなんて、ちゃん付けで呼ばれて育ったんだわ。別にそう聞いたわけじゃないけど」

 

またひとつ夕美は豆をかじる。

 

「そうだ、どこ出身なのかもちゃんと聞いたことなかった。不覚じゃ。私ちょっと思うんだけどね、星占いも血液型占いもいいけど、出身地って意外と大事じゃない? 出身地占いってどうして無いんだろう。都道府県が四十七は多すぎるのかな」

 

豆をかじる。

 

「そうそう彼はいかにも、都会型ねえ。ひょろっとして細いし、眼鏡かけて。菜穂も一回会ってるもんね。うっそ、覚えてないの。ほらあの韓国料理屋のとき。そういうこと忘れる、普通? そのとき菜穂が言ったんだよ、クール系の人だねえって」

 

豆をかじる。

 

「本当、彼ってそうなんだけどね、クールは時々、ドライにもなるわけ。映画行ったとき、『レター・フロム・ランゲルハンス』と『月の光で君を見ている』とで迷って、どっちにしようって訊いたらね、こうよ。夕美の第一印象はもう決まってるんだろう、そっちだ、って。えええ、って感じでしょう。あれこれ話し合って決めたいじゃない。でもねえ、本当は、彼の言う通りだったんだよね、びっくりしちゃった。そういう所、よくあるんだ」

 

豆を。

 

「そういえばこれ、なんて言うの? 名前、呼び名よ。なんだ菜穂も知らないの。まあいいか。結構これ好きなの、子供のときから」

 

おのろけ豆という名称の豆菓子である。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「都道府県」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2013/10/29 11:10
スニペット「ポケット」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「ポケット」です。

 

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不思議なポケツト。さう聞けばたちまちメルヘンチツクな趣が感じられませう。

 

異国からの旅人とも大道芸人ともつかぬ一風変つた出で立ちの怪しげな男が、ポケツトに手を差し込んでごそごそやると、さまざまなものが取出されて来るのです。

 

青や緑や紫に彩られた卵。香ばしく炒つてあつて滋養分に富む豆。よく磨かれて鈍く光を放つ珊瑚のかけら。かうもりの爪。らくだの尻尾。雪の結晶。四本肢の蜘蛛。カナリアのやうな美しい声で囀る蜜蜂。生きてゐる手乗りのインド象。

 

さういつたものを次から次へと掴み出しては、周りに集まつて来た子供の歓声に応へ、にやりと笑みを浮かべてみせることでせう。

 

かういふ珍しい奴に出会ふのはきつと、子供たちです。かうした眩惑的な世界の破れ目は、大人たちの社会とは相容れないものなのです。その大人たちもまたかつては、小さな心臓に夢をいつぱいに詰込んだ子供であつたのに。

 

人が育つといふことは、骨が伸びたり、筋肉が発達したり、見識が蓄へられたりするばかりではありません。それは、ひとつひとつの幻想を惜しげもなく売り払つてしまひ、その代価を以て経験知なるものを購ふことなのです。さうしなければ生きては行かれぬことをもまた、子供たちは無意識のうちによく知つてゐます。さうであつてこそ、子供は頼もしく成長するものです。

 

そして、大人なら誰しも、不思議なポケツトを持つてゐます。

 

ポケツトに手を差し込んでごそごそやると、鈍く光る金属片や、精緻な模様の描かれたひらひらの紙が、取り出されて来ます。それは、たくさんあればあるほど力を増し、望むままに何にでも姿を変えてみせるのです。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「豆」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2013/10/28 10:32
スニペット「日本海」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「日本海」です。

 

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世間の荒波という言い方がある。そのとき日本人は太平洋ではなく日本海を思い浮かべるだろう。

 

険しい岸壁に寄せる波。心なしか、舞い散る飛沫はいっそう肌に冷たく感じられるようだ。何も、日本海岸がどこもかしこも東尋坊よろしくの急峻な崖というわけでもないのに、日本海の波と来れば荒波ということになっている。

 

そこには、歴史としては浅いながら、あの日本海海戦の記憶も底流しているものかも知れない。天気晴朗なれども波高し。戦艦にはZ旗がばたばたして物々しく張りつめた緊張感が漂う。何しろ、皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよだ。そのいかにも悲愴な調子は、やはり日本海である。

 

鍋山響次はふとその気になって、路肩に車を停めた。キーを抜いて座席を下りる。

 

ポケットに両手を突っ込みながら、海へ突き出している所へ五、六歩ほど足を運んだ。時刻は午後二時過ぎ。初冬の澄んだ青空、短めに刈り込んだ彼の髪もそよぐくらいの強い潮風、足元は草がまばらに生える砂利。そして崖だ。

 

お誂え向きという所だな、と響次は思った。ひょっとして、背後から探偵だか刑事だかが歩み寄って来やしまいか。俺はじつは殺人犯だったりして。通俗的な連想が働いて、そんなものがいるはずもないのを承知しつつ、思わず後ろを振り返ってみてしまった。

 

警官がいた。

 

よく見ればそれは、警官の姿に似せて交通安全を呼びかける立看板だった。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「ポケット」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2013/10/25 10:13
スニペット「名刺」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「名刺」です。

 

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「私、こういう者です」と名乗って名刺を差し出すのは、確か、安土桃山時代くらいにはとっくに滅びた古い慣習だったか。

 

その昔は、よほど大勢のコウイウモノたちが暮らしていて、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた日本経済を牽引していたと聞く。だが、いまどきコウイウモノに遭遇したらそれは、真冬の日本海でイルカに乗った少年と出会うほど珍しく幸運なことだ。

 

尤も、早合点は禁物である。その相手は、関西人のコウさんである可能性もあるからだ。名刺に書かれた氏名は確認しておくべきである。高さん、幸さん、という苗字の人は世間にいる。現に、俺は中学校のときに甲くんと友達だった。ただし関西人ではなかったのが惜しまれる。もし関西人ならば、その喋り特有の抑揚を発揮して、いずれはさぞかし立派なコウ言う者になっただろうに。

 

溜まった名刺を整頓しながら、俺はそんなことを考えていた。

 

それにしても名刺は溜まるものである。なぜ溜まるか。何となく、捨てにくいからだろう。それは必ずしも、ひょっとして何かの折に再び繋がるかも知れない意外な人脈、といったことを期待するのではない。全くそうではなくただ単に、捨てにくい。なぜ捨てにくいか。そこに魂の片鱗が宿るからだ。

 

人名は、ほとんど人命に等しい。

 

この通り音韻が同じなのは奇遇か、はたまた原意識、無意識の意識によるものか。歴史上の人物という存在のことを思えば分かる。卑弥呼や、義経や、芭蕉は、死んだけれども生きている。その名はすなわち命。あの光源氏なんて、ほとんど実在の人物も同然だ。彼に匹敵するほどの関心を集められる日本人がどれだけいるものだろうか。

 

人は生きているだけで意味はある、というのは一面において正しい。全く正しいが、それと同時に、人に名がある限り、生死と無関係に意味はあるとも言える。だから人は、墓に名を彫る。遺族や知人が死者の名を口にするとき、死者は蘇るのだ。どこにおいて? むろん、生きる人の記憶という現世において。

 

俺はそんなことを考えながら、もう確実に不要と思った名刺の束を輪ゴムで束ねて、そして、殺害してしまった。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「日本海」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載