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hirano関数@2013/9/30 11:45
「つた」の連想配列

こんにちは、関数です。

 

ではさっそく、

つたからの連想を配列しましょう。

 

第一に、

つたと言えば、

甲子園です。

 

 

我々の目に馴染んだ、

あの豊かに生い茂るつたが。

2013 年現在、

何とさっぱり消えておる。

そのことが、

ひとしきりの話題を提供しています。

あれはいずれまた植え直す予定とのことですね。

 

人々はおおむね、

新品ぴかぴかの建物を好むことが多いようなのですが、

こと甲子園球場に関しては、

元の古い姿に戻せ。

その声が非常に強いであろうこと、

察しが付きます。

きれいに改修した上で再びわざと古くするとは、

ヴィンテージ物のダメージジーンズを修繕するようなものでしょうか。

 

人々の保守性が、

甲子園球場において顕在化しています。

それが甲子園だというのが、

何とも象徴的だという風に思えます。

 

甲子園は、

スポーツの域を幾分かはみ出していますね。

人々の心に喰い込む一大興行です。

そこでは、

情緒が何よりも優先されるようです。

出場者たちは誰もが、

さわやかで、

誠実で、

品行方正でなければならない。

 

極端なことを言えば、

「打たせない投手」よりも、

「打たれまくってもマウンドに踏み止まり続ける投手」のほうが歓迎されそうな、

そんな雰囲気さえ醸し出されているかの如しです。

 

つまり、

結果よりも過程を重んじます。

未来ある若者たちが出場者なのだから、

それで筋は通っているわけですね。

若者という存在に人々が求める理想像が、

甲子園に託されています。

 

第二に、

つたと言えば、

吸盤です。

 

 

草が、吸盤を持つ。

そう言われてみると、

意外な思いに打たます。打たれるでしょう。打たれませんか。

しかし、

つたは吸盤を持つというのです。

その吸盤でもって壁に取りついて這い上がるという、

忍者的な動きをするのです。

 

吸盤は家庭でもよく活躍しますが、

そのためもあってか、

壁に強くひっついている吸盤には、

子供の関心が強くひっついています。

だって不思議ですもの。

 

あんなに力を入れて引っ張っても取れない。

 

そうなんだよ、

それが空気の重さなんだよ。

と説明されることになりますが、

それで子供は納得するか。

大人だって結構じつは納得いかないような説明を、

子供が受け入れるものだろうか。

 

受け入れるのが、

子供の素直さというすばらしい美点ですね。

 

へえ空気って重いんだ。

それくらいであっさり引き下がり、

たちまち気が移って飼いねこを追いかけ回したりし始めます。

大人のほうはと言えば、

そこでさらに突っ込まれて、

なぜなぜ攻撃の嵐にさらされると少し困るな、

と心ひそかに案じていた所を解放されて安堵したりしています。

 

第三に、

つたと言えば、

葡萄です。

 

 

つたはブドウ科の一族で、

と言うと武道家の一族であるかのようですが、

葡萄です。

 

何とも難しい漢字だなあといつも思います。

果物にしてはどうも、

おいしそうな気がしなくて、

しっくり来ないのです。

この感覚の理由が掴めないのが、

吾人の人生における長年の悩みのひとつです。

 

それでは、

次回は「葡萄」で連想します。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2013/9/27 11:40
「とんび」の連想配列

こんにちは、関数です。

 

ではさっそく、

とんびからの連想を配列しましょう。

 

第一に、

とんびと言えば、

油揚げです。

 

 

油揚げは、

とんびがさらうものです。

 

猛禽類のくせしてそんな植物性食品をさらってゆくとは、

案外におとなしい食生活だな、

という印象があります。

そもそも、

油揚げがうまそうだと思ってさらっているのかどうか。

人間にとってはうまいものですが、

鳥にとって、

うまいかねあれが。

 

じつは吾人はひとつ疑っていることがありまして、

それは。

油揚げほどさらわれやすいものはない。

 

軽くて。

ぼつぼつしていて。

こんなにも鳥の爪に引っ掛かりやすい食品を、

吾人は知りません。

あるいは、

なるべく鳥の爪に引っ掛かりやすい食品というものを考え巡らすと、

油揚げに行き着く、

ということです。

 

とんびは別に、

油揚げが欲しいなんて思っていない、のではないかしらん。

とんびとしては他の目的があるのだが、

そうした何かの目的で、

人間へ向けてとんびが飛来するとします。

そしてその人間が偶然にも、

油揚げを持っているとします。

 

油揚げは必ずや、

爪に引っ掛かるであろう。

 

とんびの意志とはほとんど無関係に、です。

こうした情景があまりにも頻発するために、

とんびは油揚げが好きなのだ。

そう勘違いされて、

あのような諺も作られたのではないかしらん。

 

油揚げの魅力は、

まさしくその、

軽くてぼつぼつしていて、

保水性たっぷりな所にあるわけです。

 

味噌汁に、

投入せずにはいられない。

既に豆腐が入っているのにもかかわらず、

さらに油揚げを投入したりするのでした。

 

第二に、

とんびと言えば、

消防士です。

 

 

鳶職という人がいます。

とんびのように高い所を跳び回るため、

かと思いきや少々違って、

とんびを振り回すため、だそうです。

 

あなた職は何を?

 

とんびです。

 

ほほう。具体的にはどういったことを?

 

とんびを振ります。

 

鳶口という道具をよく使う人だからそう呼ばれる。

何に使うかと言えば、

家を建てたり、

家を壊したり、

するわけですね。

その家を壊すほうに着目すれば、

め組、み組、し組といったあの町火消しとなります。

江戸時代の消火活動とは、

いちはやく家を破壊することだったわけですから、

随分と荒っぽいものです。

荒っぽいことをやる、つまり、

肉体派のいわゆる《男らしい》仕事です。

かっこいい。憧れる少年も多かったことでしょう。

 

時代は下り、

建築も、消火も、

大いに専門化し高度技術化しています。

消火活動は、

消防士の専門のお仕事になりました。

 

そこで上に掲げた写真のような、

いかにも科学っぽい耐火服などを着ることもありますが、

どうだこの姿は。

かっこいい。憧れる少年も多いことでしょう。

 

この写真のかっこよさは、

見る人によって様々に感じ取れるはずです。

とにかくかっこいいでしょう。

ちなみに吾人が素敵だと思うのは、

「後ろのほうの人がぐっと突き出している左手」です。

かっこいいしですし、

この写真全体になぜだか漂う《おもしろ》感を増幅してもいます。

 

第三に、

とんびと言えば、

つたです。

 

 

鳶と蔦はうっかり読み間違えるほどよく似ています。

 

それでは、

次回は「つた」で連想します。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2013/9/25 13:33
「レインコート」の連想配列

こんにちは、関数です。

 

ではさっそく、

レインコートからの連想を配列しましょう。

 

第一に、

レインコートと言えば、

蓑です。

 

 

なんて楽しそうに蓑を着用するおっさん。

 

このかさばるやつ、

ジャパニーズ・ストロー・コートですが、

楽しそうなおっさんのみならず、

なまはげも好んで着用します。

 

なまはげは、

顔がもちろん怖いのですが、

蓑も怖いようです。

あの蓑が、

がさがさして、ごわごわして、

なまはげの魅力を増幅しています。

ああいうものが家宅侵入して来ればそれは、

怖いに決まっている。

玄関口で脱ぐべきああいうものを着用に及んだまま、

ずかずかと、

上がり込んで来る所に趣があります。

 

ジャパニーズ・ストロー・コートは、

なまはげのみならず、

虫も好んで着用します。

 

蓑虫というやつを、

実際見る、触る、せっかく作った蓑を剥いちまう、

という経験は今時、

どの程度に珍しいものでしょうか。

蓑虫は、

いる所にはいて、

いない所にはいないものです。

北海道にはいないとか聞いたことも吾人はあります。

 

第二に、

レインコートと言えば、

ポンチョです。

 

 

ポンチョと聞けば、

ビニル製の雨具のほうが先に出て来そうですが、

しかも響きがポンチョポンチョして、

いかにも雨音が聞こえて来てなおさらなのですが、

本来は。

ポンチョとは、

こういう民族衣装ですね。

 

アンデスの山風に、

ポンチョはよく似合う。

 

強く吹いてゆく風を防ぐために、

ずっしり重たく頑丈な布地で作られています。

ことに趣深いのは、

「座り込んだ姿」でしょう。

ポンチョがそれ自身、ひとつのテントであるように、

身体まるごと覆ってくれます。

そこからちょっと手だけ出して、

温かい茶を注いだマグなどを持ち、

ちびりちびりと啜るのです。

 

山に抱かれて、生きる。

そんな雰囲気が薫るではありませんか。

ポンチョを着て座り込んだ様子、

その人影がちょうど、

山の形状と二重写しになって、

それは、

自然と同化するということのメタファであるかも知れません。

 

第三に、

レインコートと言えば、

とんびです。

 

 

猛烈なる禽の類にして、

飛び回るやつです。

なるほどいかにも飛びそうだなという名称の鳥です。

 

コートにインバネスという型がありますが、

あれを「とんび」と俗称します。

見た目が似ているからそう言う。

 

じつは吾人は、

一体どこがそんなにとんびに似ているのかぴんと来ません。

それを言うなら、

翼を広げる鳥なら何でも似てやしませんかね。

 

それでは、

次回は「とんび」で連想します。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2013/9/24 10:04
「河童」の連想配列

こんにちは、関数です。

 

ではさっそく、

河童からの連想を配列しましょう。

 

第一に、

河童と言えば、

沙悟浄です。

 

 

『西遊記』の河童ですが、

じつは、まさかの、ゆくりなくも、あにはからんや、

河童ではない。

という曰く付きのやつです。

 

原作を幾ら読んでも、

沙悟浄は河童だなんて、

一言も書いてない。

この事実はわりかし広く知られているようです。

 

しからば何者なのかと言われれば、

「顔色の悪い人」です。

 

遥かなる天竺を目指す三蔵法師の一行。

そのお供をして珍事件を巻き起こす愉快な仲間たちは....

孫悟空!

猪八戒!

顔色の悪い人!

 

これではどうも、

気勢が上がらん。

やはり誰しもそう思うのでしょう、

俗に言う、キャラが薄いというやつで、

そこで顔色の悪い人は、

河童だという設定になったものと思われます。

 

顔色の悪い人にしてみれば、

不本意なことでしょうか。

いい加減で適当な発想で、

河童なんかと一緒にしやがって、

と思っているのでしょうか。

ますます顔色が悪化するかも知れない。

しかし、

よしんば根拠に欠けていたとしても、

キャラが薄いよりは、

何かしらのキャラが付いて良かったと思うべき所でしょうね。

おかげで、

顔色の悪い人も広く皆に親しまれるようになりました。

 

第二に、

河童と言えば、

ディケンズです。

 

 

代表作のひとつが、

『デビッド・カッパフィールド』だからです。

 

19 世紀イギリス、

あのヴィクトリア朝に生きる河童のデビッド、

その幼少期から壮年に至るまで細密に書き上げて、

心裡描写もさることながら、

河童の生きる場、すなわちカッパフィールドを、

つまり、当時の社会情勢を活き活きと描き出すことに成功しており、

またそこには、

作者ディケンズの自伝的要素も織り込まれていて、

ということは、

丹念に読み込んで行くと、

じつは作者は河童であった、

ということが判明する興味深い仕掛けまで施された、

世界の河童文学の系譜における代表作であるはずもありません。

 

コパフィールド。

そう書かれる場合が多いのが残念ですね。

 

余計なことかも知れませんが、

カッパフィールドのほうが、

思わずその字面に惹かれて手に取る少年少女が増える、

ということが考えられます。

読み出したらたちまち見込みが外れて落胆する怖れもありますが、

その時にはもう遅い。

結局は最後まで読みたくなるでしょう。

手に取らせたもん勝ちです。

 

きっかけは何でも構わないのであってともかく、

子供たちが文学に親しむ。

それが大切なことで、

そうした子供たちの中には、

立派な小説家ないし文学者へと育つ逸材だって、

いるかも知れない。いるはずです。

ここにおいて、

カッパフィールドが我が国の文化振興に資するべきこと、

測り知れないものがあります。

 

Copperfield ですから、

強引に日本人名に訳すとすれば、

「銅野さん」とか「銅田さん」ということになります。

お知り合いにいらっしゃいませんか。

 

第三に、

河童と言えば、

レインコートです。

 

 

雨具のほうのカッパは、

河童とは全く何の関係もないのですね。

どこの辞書を引いても、

ポルトガル語の capa が由来だと書いてあります。

ちょっと残念。

 

関係がもしかしたらある、かも知れない、という説が無いでもない、

くらいに留めておいてくれたら、

まだ希望が残りますのに。

しかし、全く何の関係もない、と遠慮なく、

喝破しています。

 

それでは、

次回は「レインコート」で連想します。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載