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hirano関数@2012/12/28 11:16
「弁慶」の非正規表現

こんにちは、関数です。

 

サンフィッシュのことを前回お話ししました。

と来れば、

ナポレオンフィッシュのことも忘れてはいけません。

何しろどちらも愛嬌がある。

 

どの辺りがナポレオンかと言えば、

あの奇態な頭部が、

ナポレオンの帽子だ。

そういうことだったかと思います。

裏を返せば、

それだけがナポレオン的です。

それ以外ない。

どう見ても、

英雄的な顔つきじゃありませんものね。

あんな飄然としていては世界征服はできません。

何だか常に顔面蒼白ですし。

ワーテルローで敗れたときの顔かしらん。

 

ナポレオンフィッシュには、

例の問題が付き纏いますね。

つまり、

ムーミンパパは、ムーミン誕生以前は何と呼ばれたのか?

というあの有名な問題です。

 

ナポレオンフィッシュと今では呼ばれるその魚の一族は、

人間とは関係なく、

昔からずっと生き続けていたはずです。

誰かが皇帝になろうがモスクワで凍えようが島流しになろうが、

知ったことではありません。

そこへある日、

人間がやって来て、

勝手な名前を押し付けて行った。

勝手な名前とは、

つまり人間による発見当時、

ナポレオンという歴史が既にあったから連想してナポレオン、

それだけのことなので、

さもなくば、

別の名前になっていたのです。

帽子をかぶる人間なら大勢いる。

 

しかし、ともかくも、

ナポレオンフィッシュということになりました。

ひとたびそう決まってしまえば、

後は一瀉千里、

どこまでもひたすら、

ナポレオンフィッシュです。

あらまあ面白いおでこ。

ナポレオンの帽子というわけですよ。

へええ。

こうしてナポレオンフィッシュはいよいよもってナポレオンフィッシュ的なる者として存在するに至るのでした。

その出発点においては、

ナポレオンと全く関係なかった者がです。

 

後から来たものが、

先行く者を規定する。

これが、

ナポレオンフィッシュ=ムーミンパパ問題です。

過去が未来を決める、

という常識と全く逆のことが、

そこでは起きています。

未来が、

遡って過去を決める。

 

ムーミンパパは、

誰も彼もがムーミンパパムーミンパパと呼ぶものだから、

もはや自分自身でも、

元の名前を忘却してしまったものと見えます。

そして、

今更この状況を覆そうなどとは、

夢にも思わない。

よってムーミンパパは安定してムーミンパパである。

この辺りの消息は、

ウルトラの母などにも共通するものです。

 

先ほど、常識と逆だ、

という言い方をしました。

だがしかし考えてみると、

これが案外、

じつは常識的なことかも知れません。

と申しますのも、

人間は常に、

歴史を書き替えたがる。

 

ある勢力が天下を取れば、

彼らは必死に、

己の正統性を主張しなければなりません。

そうしなければ、

取った天下が維持できない。

ナポレオンだって、

ローマ皇帝の冠を欲して手に入れた。

糟糠の妻ジョゼフィーヌがありながら、

「いいとこのお嬢さん」を新たな妻に迎えた。

ジョゼフィーヌが糟糠の妻と言えるかどうかは知りませんが。

要するに、

正統性が欲しい、

伝統に支えられた権威が欲しい、

一言に尽くせば、

歴史の裏打ちが欲しいのですね。

 

ここにおいて最も単純かつ経済的な手は、

実際に、

歴史を書き直しちまう。

という手です。

古事記や日本書紀は、

天皇は神の末裔にあらせられる、

と人々に広く知らせるためのものです。

現政権のボスを正当化したものです。

当然そこには、

ご都合主義が混じる。

しかもほとんど無意識の内に混じるでしょう。

 

これは、

政治っぽい話のことばかりでもありませんね。

昨今の流行語を使えば、

「黒歴史」と。

そう言うじゃありませんか。

いやああああ消したい。

そんな過去の一つや二つ、または数え切れないほど、

皆さんお持ちでしょう。

 

忘年会の忘の字には、

この辺りの消息が込められているようです。

面倒な歴史なんぞ、

消したい、忘れたい、書き替えたい。

ところがそれは決して消せません。

だから歴史は大切だ、

ということになりましょうか。

 

それでは突然ですが毎度おなじみ意味なし五七五、

「弁慶」の非正規表現。

 

 

次回は「盆」です。正月明けですから丁度良い。

皆様よい年の瀬渡りを。

tanaka@梅干し@2012/12/27 12:17
料理

年末年始といえば、1年の終わりであり新しい1年の始まりとなって

お世話になっている方々に1年の報告を兼ねてご挨拶に伺う機会や

友達と年を忘れるパーティーをすることもあるのではないでしょうか。

お店でパーティーをしたり、ホームパーティーをしたり、

少し寒いですが外で芋煮パーティーをしたり方法はさまざまですが、

共通していえるのはおいしいものを頂く機会が増えるシーズンだということ。

年末年始は冬眠前の熊のようにおなかの周りにラブリングを

装備する時期となります。(^_^;)

 

わたしはホームパーティーが一番好きで楽しんでいます。

みんなで料理を持ち寄ったり、即席で作ってみたり、

映画やゲームをして楽しんでみたりとゆっくりした時間を

過ごせるのが魅力です。

持ち寄った料理に自分が普段使わない食材で調理されたものが

あると新境地に出会ったような気分です。

 

まな板の前に立って目の前にある食材をおいしくするのも、

不味くするのもこれからの手の加え方次第。というのがワクワクします。

 

味がわからない食材と出会ったとき、その食材をどう調理したらおいしく

なるのか模索します。

塩があうのか?はたまた醤油があうのか?オイスターがあうのか?

煮る・焼く・揚げる。。。美味しく食べるには何がベストかな?と考えます。

でも、1回目からそうそう気に入った味には作れないもの。

そうそう甘くはない。身をもってトライ&エラー。。。

さらに3日目の煮込みすぎた「味噌汁」はご存じの通りショッパ辛くなります。

そんな時はショッパ辛くなったみそ汁も絶妙なバランスの水とダシをいれれば

美味しく頂けたり、水とコチュジャンを入れれば「チゲ」の様になったり、

それでも余ったら、春雨を入れて簡単に「チャプチェ」になります。

まだ余ったら、皮でつつんで「春巻き」でラストをかざります。

 

始まりは味噌汁でしたが

工夫次第で食材や調味料の相乗効果が生まれて

味噌汁の色々な角度を楽しめるようになります。

ふと、料理は人との関係と似ているように思う今日この頃です。

 

今年は多くの人と出会い沢山の勉強をさせて頂きました。

そして来年はより一層おいしい料理が作れるように創意工夫、

精進したいと思います。

 

最後に、不慣れな文章にお付き合いいただき有難うございます。

2012年の私の記事更新は最後となりますので御礼申し上げます。

それでは、みなさま良いお年を!!(^◇^)

hirano関数@2012/12/27 10:37
「物件」の非正規表現

こんにちは、関数です。

 

前回は海月が、クラゲが漂いました。

海の月がいるなら、

海の日もあるべきではないか。

七月下旬の祝日はありますがそういうことではなくって、

海の太陽です。

ところが、

考えてみれば、

いましたね海の太陽。

 

マンボウです。

サン・フィッシュ Sunfish と呼ばれます。

あんなぼんやりした奴のどの辺りが太陽か存じませんが、

ともかくマンボウは海の太陽であるらしい。

ぼんやりしているからこそ、

かも知れませんね。

我々が何をしようが、

泣こうが喚こうが騒ごうが、

一切無関係、淡々とマイペースだ。

そんな所が太陽のありがたみだからです。

 

という説明には無理がありますが、

もっと無理なことがあって、

それは、

マンボウはぼんやりした奴だと単なる印象で決め付けたことです。

あんたマンボウの知り合い?

そう言われると困る。

吾人は交遊関係が狭いもので、

正直な所、マンボウの知り合いが全くいません。

青春の友は一生の宝で、

あの頃、ほんの少し心を開いて、

青春時代をマンボウと共にしてさえいたら。

知り合いどころか、

一生ものの友情がマンボウと続いていたかも知れないのに、

と悔やまれます。

 

しかしながら、

やはりマンボウはぼんやりした奴だと思うほかありません。

だって、

三億個の卵を産む。

これで世界の七つの海がマンボウで充満しないというのは、

もちろん、

ぜんぶ喰われちまうからですね。

 

仮に、

個体の総数が増えも減りもしない状況だとすれば。

論理的必然として、

三億個のうち二個だけ生き残ることになります。

生存率 0.00000066 パーセント。

つまり、

99.99999934 パーセントの確率で死にます。

そのような確率で我が子が死にゆく姿を眺めながら、

マンボウは泳いでいます。

いくら何でも、ちと、

ぼんやりし過ぎではなかろうか。

 

しかしそのようなことを、

種の維持を懸けて敢行するのがマンボウです。

ひょっとしたら、

何かこう、

悟達しているのかも知れませんね。

少なくとも、

二億九千九百九十九万九千九百九十八の《死》を背負う、

などということは、

人間には決して耐えられないでしょう。

マンボウはマンボウ式の死生観を持って不思議はありません。

 

それは、

諦念や無常観と呼ぶのさえ生ぬるい、

まるで呼吸するように、

当り前に、死を享受する姿勢です。

その結果マンボウは、

あのような顔つきをしているのではないか。

マンボウ的悟りの境地です。

 

そう思えば、

マンボウを馬鹿にしてはいけない。

何しろ、

心構えがまるきり違うのです。

この世に対する姿勢が、

比べようもなく異なるのです。

我ら凡人の到底及ぶ所ではない。

見識豊かなお坊さまの謦咳に接するように、

以て我が身の糧となすべし。

たかが人間如きが、

マンボウを決して馬鹿にしてはいけない。

 

マンボウは、

ぼんやり泳いでいて、

水族館のガラス壁に激突することしばしばだそうです。

 

それでは突然ですが毎度おなじみ意味なし五七五、

「物件」の非正規表現。

 

 

次回は「弁慶」です。

hirano関数@2012/12/26 10:16
「敏感」の非正規表現

こんにちは、関数です。

 

前回は海老原先生に登場していただきました。

幼稚園の幼きから今に至るまで、

吾人は、

海老原という先生に、

担任していただいたことも、

お会いしたことさえもありません。

それがいかにも残念ですが、

きっと、

地球のどこかにはいらっしゃるはずです海老原先生。

お元気ですか海老原先生。

ご覧になってらっしゃいますか海老原先生。

 

気になるのは、

その苗字です。

それはどんな由来か。

えびなのに、

原だというのです。

どうも木によって魚を求むの類ではないか。

原っぱで、えびを捕まえることが可能か。ぴちぴちと。

 

でも「海原」という表現があるな、

ということにすぐ気付きます。

海なのに原ですが、

誰も不審に思わない。

ものの例えというか、

原っぱのように遥々と広がる光景のことを表す、

と判っているからですね。

 

よって、

海老原先生のご先祖は、

えびが大いに獲れる海辺に暮らしていたに違いありません。

その海は、

ある日は穏やかに陽光を照り返し、

またある日は沈み込むような底知れぬ暗い影を宿し、

鳥たちの翼を潮風で支え、

さまざまに形なす岩肌を洗い、

遊び回る子供らの叫び声を賑やかに吸い込み、

言葉少なに寄り添う恋人たちの足元をそっと撫で、

えびがいっぱいいる。ぴちぴち。

 

なぜえびが海で老かと言えば、

腰が曲がっているせいでしょうけれど、

なぜだ、

とよく話題に上るのは、

まず、

海豚でしょうか。

どこらへんが豚か。

説得力ある話を聞いたことがありません。

喰ったら豚の味がしたのか。

あるいは鳴き声が豚のようだと聞いたか。

肌の質感が豚っぽいと思ったか。

吾人はごく単純に「豚みたいに可愛いかったから」に一票です。

 

海栗は議論するまでもありません、

海猫はもちろん鳴き声だし、

海豹はゴマフの奴を見て名付けたのでしょうし、

海月は上から眺めたらまさしくですが、

問題は海鼠です。

 

鼠とはね。

あんなにちょろちょろ活発に動くものと、

あんなにぽてりとしたものを、

アナロジーの軛に繋ぎ留めて良いか。

尻尾らしきものも無いですし。

 

考えられるのは、

ぽてりどころではない、

どっさりいるのを目撃してしまったせいだ。

ということです。

それはもう、どっさり。

誕生日ケーキにぱらぱら振り掛けるあの細かい棒状のチョコレートがありますね、あれを振り掛けようとして瓶のふたが取れてしまい、ああっ。どさーっとなってしまったときの状態を思い描いてみて下さい、その状態のように、

どっさり。

 

それだけ群れていれば、

鼠がどんどん増えるという印象に、

合致したのかも知れません。

 

それでは突然ですが毎度おなじみ意味なし五七五、

「敏感」の非正規表現。

 

 

次回は「物件」です。