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hirano関数@2014/6/25 11:32
スニペット「担当者」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「担当者」です。

 

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河川敷に設けられた野球場がある。今日は土曜日、草野球を愉しむ人々が時折、雄叫びのような我が身を叱咤するような妙な声を出したりして、がやがやしている。

 

スポーツを、独りでやるもの複数人でやるものに分けるとして、後者を更に、役割の明確なもの不分明なものに分けることができる。バスケットボールの如きは不分明である。野球の如きは明確である。石ころ投出し担当者、石ころ受止め担当者、丸太棒ぶん廻し担当者という具合に、互いに己の領分を守り、決して他の領分を侵さない。

 

日本人が野球好きなのはその点と関係があるという。事に当るに、まず徒党を組んだ上で担当を割り振ってそれぞれの小分野に熱中する、というこの得意の態度で以て日本人は、かつての高度経済成長を実現し、野球を好むのだという。

 

この変な説にはたっぷり反論できる。一つ、チョーレイ、ザンギョー、カローシその他の昭和サラリーマン気質とは或る短い一時代の特徴に過ぎない。一つ、アメリカ人も野球好きだが日本式企業経営とアメリカ式のそれに共通点が多いなどとは聞いたことがない。一つ、相撲はどうする。一つ、日本人女性のことを無視するな。などなどである。

 

滝上顕男は野球が好きなのである。草野球のがやがやをベンチに腰掛けて、杖をついて、細い目で眺めている。柔らかい日射しが快い。

 

滝上もかつて少年野球から始まって、いい年になるまで草野球も、大いにやった。選手として動けなくなってから監督もやった。草野球の監督という立場はじつに気楽なもので、たとえば、指示があっさり無視されたりする。その辺りが素人の良さである。観るのも当然好きで、テレビという機械はプロ野球中継のために存在すると考えている。

 

そうした滝上からすれば、こうして週末に草野球を愉しむ人が世の中にまだまだ多いのは、めでたい。もしかしたら、目の前の河川敷にだけ多いのかも知れないが、それでも構わない。滝上は老いたから世間が次第に狭くなるのは当り前で、たまたま目の前に多いということは、世界中で多いのといっそ同じことである。

 

後ろのほうから、ガラス板が破滅する音がした。

 

野球を眺めていたものだから滝上はつい、民家の窓にボールが飛び込んだのかと思った。

 

それに近い種類の思い出が滝上の昔にもある。しかし考えてみると目の前の試合は先程からずっと、チーム双方ともさっぱり良い当りがない。何とも草野球らしい試合である。そしてここは広大な河川敷で、如何なる特大ホームランであろうとも周辺の民家まで打球が飛ぶことは考えられない。

 

音のしたほうには確かに家屋があるが、首を捻ってみても、その様子まではここから見えない。その家から出た音かどうか自体が定かでない。見に行こうかとも思うが杖ついてわざわざ歩くのがしんどい、滝上は気にしないことにした。

 

その音がした二秒前には、窓張替えの注文を受けた工務店の担当者が、二人掛りで品物を運んでいた、その顔面へ、蜂が飛んで来たことである。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「窓」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2014/6/23 11:32
スニペット「表面」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「表面」です。

 

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いつもいつも何かの一つ覚えのように、表面はこんがり、中はとろとろ♪では面白くない。たまには逆さまにして、表面はとろとろ中はこんがりという逸品があっても良かろうと考えたが、何しろ一般に加熱とは外側からやるのであって、全く難しい。予めこんがりしておいた物を、後付けでとろとろさせる他ない。「深煎りアーモンドを入れた生チョコ」なんてことになるだろうか。「あんかけ堅焼きそばボール」はどうだろう。

 

いつもいつも何かの一つ覚えのように、広告に起用したタレントに、人差指をぴん!と立ててもらうのでは面白くない。たとえば若い女性タレントなら、投げキスでも良かろうし、意表を衝いて後ろ廻し蹴りでも良いのではないか。しかしどうしても、人差指をぴんと立てねばならぬ事情があるらしい。おおかた広告代理店の担当者が、人差指をぴんと立てた写真と人差指をぴんと立てない写真をクライアントの前に並べて見せて、やっぱりこちらですよねと誘導することになるのだろう。或いは、人差指をぴんと立てた広告と人差指をぴんと立てない広告のコンバージョン率を比較した統計資料でも持ち出すのかも知れない。

 

いつもいつも何かの一つ覚えのように、絶対に負けられない闘いが、そこにある。のでは面白くない。多少並べ替えて、「そこで闘わずにいられない負けが絶対にある」とやったらどんなものか。何だかごたごたした文章だが要するに、負けたら悔しいだろうと言っているのであってこれはこれで確かに、裏側から、冷徹に、戦意を鼓舞している。

 

いつもいつも何かの一つ覚えのように、憎まれ口ばかり叩く不良少年が、じつは家庭の不幸を抱えて繊細な心を持つゆえに苦しんでいるのでは面白くない。いっそのこと、先生のほうが繊細な心で、しかも家庭の不幸で苦しんでいて、それが、不良少年との職務上のバトルを繰り返す内にだんだん人格が練れて来て、家庭での事の捌き方も上手になってゆくという「遅れて来たビルドゥングス・ストーリー」に仕立てる。むしろそのほうが、いかにも現代的な社会問題を内包した物語として成立し得るような気がする。

 

といった具合に、いつもいつも何かの一つ覚えのように、逆転の発想、逆転の発想とそちらにばかり考えが向く種類の人間は、話してみると存外に面白くない。発想豊かな人のように表面上見えても、そのじつ、既存のものに寄り掛かる形でしか頭が働かないからだろう。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「担当者」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

tanaka@梅干し@2014/6/23 10:20
ラーメン

こんにちわ。ご無沙汰してしまいました。

 

次回はラーメンをご紹介と書いて半年ほどたってしまいましたが

半年たつと、新しいお店が出来たり、お気に入りのお店がなくなってしまったり

状況は日々刻々と変化しているようです。

 

さて、今回ご紹介するラーメン屋さんは、まさに新規店舗です。

立川で大人気だったラーメン屋さんが新宿御苑に移転したそうです。

 

店名は『独歩』詳細は食べログを参照してください。

http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130402/13122104/

 

私が頂いたラーメンはこちら↓

 

 

写真のピントがずれていますが、(^_^;)

出てきたラーメンは、「わたし美味しいですがなにか?」

と書いてあるかのようでした。

ラーメンは標準で300Gと少しボリューミー。男性でも充分おなかいっぱいに

なれるのではないでしょうか。50円引きで小盛もありました。

スープは脂っこく感じず、あっさりでもない丁度いいバランスなので

私のお気に入りは小盛で、ゴクゴクっとスープもまるっと頂く食べ方です。

 

暑くなってくると、キンキンの冷房で冷え切ってしまった体を

温かいラーメンで内臓から温めて、また暑いと言いながらオフィスに戻る。

この表裏も楽しみの1つであります。

 

さて、次回はジメジメっとしたシーズンをスカッとさせる

スパイシーなお店をご紹介したいと思います。

 

hirano関数@2014/6/20 11:42
スニペット「通行人」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「通行人」です。

 

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縦横無尽に、周囲三六〇度どちらを向いても通行人がゆく。ここは遠心力空間だ。長たらしい正式名称はあるのだが、誰もがごく単純に、スペース・オブ・セントリフュガル・フォース、SCEF と呼ぶ。月よりも遥かに小さい極小の天体を思い描いて、その「表面の裏側」に、核のほうへ頭を向ける姿勢で人々がへばり付いているところを想像すれば良い。それでも人にとっては広大な世界で、そこを通行人たちが蠢いている。

 

人は人として人それぞれなのに、それが大勢集まると、十把一絡げに通行人というものに変貌する。通行人、通行をする人とは何事だろう。

 

人は、その人なりの何事か目的があって通行をするのに違いない、それを通行をする人と呼ぶのは、手段と目的とを取違えている。当人の目的を他人は知ることを得ないから、先入観は禁物であるから、わざと、通行すること自体を目的と見立てておこうという洒落っ気なのかも知れないが、洒落にしてもあまり上等な洒落ではない。

 

ここは、商業的に建設、開発された複合型行楽施設である。一口に言えばショッピングモールだ。但しその規模がちょっとした小惑星クラスであるという訳である。こういう巨大な投資はむろん一企業のなし得るところではなく、幾つもの著名なコングロマリットがそれぞれの思惑で緩やかな提携を結ぶという形で、ひとまずの実現を見た。

 

実現するまでにどれほどの煩瑣で面倒な交渉事が繰り返されたか、察するに余りある。しかもその間、政府組織の介入もひっきりなしにあっただろうに、とうとうそれを拒み通し、純粋に民間資本のみで完成、営業開始まで漕ぎ付けた。つまり史上初の、完全民営の SCEF なのである。半官半民の形でのそれならば、既に実例が幾つかある。その先例がなければむろん完全民営などということは到底実現されなかっただろう。いつの世も、公権力は常に先例を重んじる存在である。

 

二年前の営業開始以来、その収益は、初年度二年目共に見込み通りに順調、というところらしい。無惨な赤字成績ということに陥らず推移にしているのはひとまず誰もが安堵しているだろう。今日も今日とて、確かに大勢の通行人で賑わっている。

 

ここは巨大な小世界で、何があるかと言えば、要するに、湖も森もある。一口でショッピングモールと言ったが一口に言い過ぎた。SCEF は、森へ散策を愉しみにゆく通行人と、流行のファッション品を買いにゆく通行人とが、すぐ隣りをすれ違うような場なのである。

 

尤も、通行人が通行人であってそれ以外ではないという場合が、ある。人が通行するために通行するのは如何なる場合かと考えれば良い。

 

客寄せのためという意図を露骨に隠そうともせず前近代的な意匠を凝らした商店街の一角で、まさに通行するための通行人が大勢、通行していた。広告タイアップの短編ドラマの撮影中である。ここは広い SCEF のうちでも殊に人気のスポットであるらしい。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「表面」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載