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hirano関数@2014/7/8 12:10
スニペット「海苔」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「海苔」です。

 

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ロンドン塔の衛兵のことを、ビーフイーターって呼ぶ。ビーフをイートする連中、牛喰い野郎って意味。フロッグイーターならフランス人を莫迦にする悪口なのに、ビーフイーターは悪口じゃない。イギリス人は皆よく普段からビーフをイートしてるからなんでしょ。ロンドン塔は、牛喰い野郎どもにびしっと護衛されてる。

 

江戸時代までの日本人なら、四ツ足の獣なんか食べるものじゃなかった。薬喰いって言ってたまに、こっそり、食べることはあったけど飽くまでも普段は食べなかったんだから、牛肉なんてとんでもない。だからその頃なら、ビーフイーターはフロッグイーター並みの悪口ってことになる。

 

それが明治になったら、牛鍋だ牛鍋だって騒ぎ出して、あっという間に日本人もビーフをイートするようになっちゃった。ぼくだって昨日、イートした。

 

スシ、テンプラで日本食は世界じゅうで人気ってことになってるけどその日本食でも、ナットーはめちゃくちゃ嫌われてる。きっと嫌われてる、それは日本人にもよく分かってる。ロットンビーンズイーターって悪口言われてるかも知れないね。腐れ豆喰い野郎だ。ナトーは北大西洋条約機構で欧米人たちにはすごく大切なのに、ナットーは駄目なんだね。そのことはロットンビーンズイーター自身にもよく分かる。ぼくにも分かる。でも、いまいち分からないのが、ペーパーイーターなんだな。

 

海苔のどこが悪い。

 

スシは好きなのに、ノリは嫌いだって人が多い。ニギリ・スシは良いけど、マキ・スシは悪いと。信じられないって、あんなに黒々として、ぴらぴらして、気味が悪いって。そうかなあ。ペーパーイーターにしてみれば、どうも納得行かないな。

 

海苔のどこが悪い。

 

黒い食材なんかたくさんあるし、肉とかチーズなんかわざと黒く焦がしてそれをうまそうだと感じることだってあるんだし、黒いのが駄目ってわけじゃないでしょ。ぴらぴらしてるのだって、それなら葉っぱを食べるのも同じことだと思う。レタスって嫌い、あんなぴらぴらしたやつ、っていう人はあんまり多くないんじゃないかな。こういう、生理的に、って種類の話は本当に難しいね。

 

カリフォルニアロールは、なぜ外側に海苔が来ないか。なるほど言われてみればそうだな、改めてそんなこと気にしたことなかったから、と思って、聞けばそういうことなんだね、あれは。

 

海苔のどこが悪い。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「護衛」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2014/7/4 9:59
スニペット「写真」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「写真」です。

 

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カメラとは、時を切り取る装置である。時間停止の魔法はとっくに発明されているわけになるが、むろんその魔法は、誰にでも使えるような、たやすいものでは到底ない。

 

第一に、カメラを購入しなければならぬ。

 

第二に、眼前の状況はシャッターチャンスであるか然らざるかと常にその心構えを忘れてはならぬ。

 

第一はともかく第二の点において、これは精神力を非常に消耗する。魔法だから当然かも知れないがそれにしても大きな負担であろう。

 

たとえば雑誌で紹介されていたラーメンを注文してそれが出て来れば、たとえば偶然会った有名人と一言二言会話するほどの近付きになれば、たとえば新郎新婦がケーキにナイフを差込めば。そのときは直ちに、抜かりなく携帯しておいたカメラを素早く取出し、写真を撮影せねばならぬ。

 

さもないとみすみす時を逃してしまう。同じ瞬間は二度とやって来ない。せっかくのシャッターチャンスが永遠に喪われるということが、まことに口惜しいと感じる。撮影される新郎新婦のほうも心得たもので親切に、笑顔のまま全身硬直したりしている。

 

観光旅行において、精神力の消耗はいよいよ顕著である。観光しているのだから、見るもの何もかも珍しく、チャンスに次ぐチャンスである。身の廻りこれシャッターチャンスだらけである。これでは、カメラを手放せる訳がない。ぼんやりしていれば時はどんどん過ぎてしまう。その袖を捉えて必死に引止めるように、写真を撮るのに忙しい。ゆっくり旅する閑もないという有様である。このゆえに、旅行とはぐったり疲れるものなのである。

 

こんな疲れることはもう厭だと考えた者が、時を停めずに流したまま、しかも保存しておける魔法を編み出した。これも時を切り取ると言えば言えるが、すぱりと断面にするのではなく、海苔巻き寿司を切るように立体的な切り方である。写真が時間停止なら、ビデオはさしずめ「時間つかみ取り」といったところであろう。

 

これでもう、シャッターチャンスがいつ来るかいつ来るかと気を揉む必要はなくなった。心ゆくまでビデオカメラを構え続けていればよろしい。それで、うかうかしていれば永遠に喪われるべき時は、喪われずに済む。こういう素晴らしいものだから、たとえば子供が通う小学校で運動会が催されるとなったら、この新魔法を是非とも習得しておかねばならぬ。それはほとんど親の義務である。

 

そうした歴史的経緯であった。この特殊な魔法使いたちの一派は、時を保存し得た代償として、自らの肉眼と心眼を永遠に喪った。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「海苔」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2014/7/1 11:34
スニペット「白馬」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「白馬」です。

 

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加地啓介は、山岳写真を趣味にしている。

 

山岳と写真とがくっ付いているが、もともと山岳のほうが先だった。山歩きを楽しんでいると、写真を撮りたくなる。撮りたくなるから撮って、撮るほどに面白くなる。そのうち、写真を撮りたいがために山へ登るようになっているのに気付く。そのような、格別珍しくもないごく自然な道を、加地は登りつつある。

 

しかしせっかくの趣味なら、珍しくもないというのでは残念である。仕事ではなく趣味だからこそである。加地にとって仕事は身過ぎ世過ぎで、そのような考え方で以て世を渡っている。趣味にこそ、俺のは、こうだ、と胸張って示せるような何物かが欲しい。撮り溜めた写真をうち眺めていたら、加地の心はふと動いた。

 

遠く遥かに望む山腹に、馬の姿が現れる。眺めて人々は、巡りゆく季節を改めて感じる。満月の模様の見立てと同じことで、何も馬と決め付けず牛でも鹿でも熊でも狼でも兎でも良いようなものだが、そこはなぜかまず以て馬である。駒ヶ岳という山なら日本じゅうにあちこち、ある。そのうちの幾つかは加地も登っている。

 

雪が馬なのか地が馬なのかということがある。つまり、それは白馬か黒馬か。

 

季節の順番で言えば、先に黒馬がやって来て、その後に白馬が来ることになる。雪のほうが多いときに地が目立つのだし、春が訪れてからの残雪が目を惹く。白いということはそれだけで既にして魅力あることだから、どちらかと言えばやはり、美しい白馬を見たい。

 

これだと加地は考えた。

 

こういう白馬とか黒馬とかのことを、雪形と呼ぶ。雪形ということならそれは既に、対象化と言おうか、ジャンルとして成立している。ウェブを覗いてみればたちどころにその手のサイトは見つかる。観光の呼び物として利用されているのは勿論である。加地は見掛けたことはないが、雪形ばかり集めた写真集だって出版されているかも知れない。

 

これを、白馬に絞って研究する。加地はそう思い付いたのである。それから五年間ほどが過ぎた。

 

とある山歩き雑誌から取材の申込みが、加地のところへ来た。人づてに密かな評判が広まったのである。

 

このインターネット時代、情報発信は一個人でもまことに手軽にできる。肝心なのはそれが、どれほど広く受信されるかということである。加地は、有名人になりたいなどという願望は持たないが、ごく人並みの、承認欲求とかいうものはそれでも、ある。加地は嬉しく思った。

 

言い遅れたが加地は、いま二十六歳である。山歩きなんてことを趣味にしている割には、随分と若い。誰しもそう思うだろう。のみならず、若いということ、それだけで、大いなる価値だと考えるあの通癖がジャーナリズムにはある。

 

「白馬の王子様」という見出しが、取材記事には付いていた。届けられた雑誌のそれを見た加地は、苦笑いするほかなかった。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「写真」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2014/6/27 14:35
スニペット「窓」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「窓」です。

 

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じつに横暴な王様である。

 

その器量はしかし、魯鈍ではなく犀利である。つまり決して聡明な君主ではないのだが、珍奇をお好みになり、遊び心が豊か過ぎにあらせられ、狡猾でおわすといった王様なのであって、こんなに困った王様はない。侍従長は心ひそかに、教育を間違ったせいだと嘆いている。その侍従長の妻は心ひそかに、一流の教育ゆえにこそ厄介な素質が花開いてしまったのに違いないと思っている。

 

朕は白馬にして黒馬でなければ今度一切乗りとうない、と仰せ出されたことがある。困惑の挙句に大臣の一人が、白斑のある黒馬を探して来てご覧に入れると、果してご不興である。笏で以てに家来を一撃ぶちのめすくらいのことは日常的光景で、このときも大臣はやられた。それでは一体、と王の御意を伺おうとしても無駄なのは全員が判っているから何とか知恵を絞るほかない。

 

小間使いの女がふと、シマウマを思い付いた。まさかと思ってシマウマを手に入れて献上すると、果してご満悦である。しかしシマウマに騎乗などできるものではない。そういう気性ではない。だがそれを言うなら、王様のほうだってそういう気性ではない、いや、そういうご気性にはあらせられぬ。王と家来とシマウマの奮闘はじつに三週間も続いた。それから王様はめでたく、シマウマにお飽きになられた。

 

王様は、周囲の人々が困るのをお愉しみである。困惑の渦を起しておいて、そうして、その中に御自らお飛び込みになられるようなところがある。王様は、シマウマ乗りに挑戦なさりシマウマから転げ落ちられる王様である。むろん周りの者はお止め申し上げるがお聞入れにならない。

 

或る日また変な、王様のご所望が出た。窓を持って来いと仰せられる。窓だ、朕の前に窓を持て、とのお言葉である。国じゅうに触れ廻って、最も良い窓を献上した者に褒美を与えるとの勅令である。

 

何だか釈然としないが御意のままに、名高い技術者たちが、各々の意匠を凝した作品を献じた。ロココ調の額縁のような窓枠がある、バウハウス的なる無愛想な窓枠がある、風水思想を凝縮したと称する支那趣味のごてごて窓枠がある。果して、王様はご不興である。

 

そんな或る日、何とか言う名の哲学者が言い出したことが巷間に伝わった。窓を献上せよと勅令にある。その意味をよくよく考えてみるが良い。窓とは、穴である。ドーナツの穴だけ持って来い。そう言われたことを思えば良い。

 

誰もが困惑した。

 

そんな或る日、何とか言う名の植木職人が王宮の門のところへ現れた。畏れながら王様に私めの窓をご覧に入れたく下賤の身ながら参上いたしました。つきましては三日後の正午きっかりに云々。植木職人と王宮詰めの兵士たちと侍従長との間に、少々の騒動と、少々の打合せがあった。

 

三日後はよく晴れた日だった。正午きっかり、王宮の壁に新たに一つ開けた南向きの窓から外を眺めると、それはそれは美しい、森と花々の光景が現れた。植木職人は褒美を受けた。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「白馬」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載