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hirano関数@2014/8/5 10:53
スニペット「調和」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「調和」です。

 

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台所に砂糖と塩と酢と醤油と味噌とかつぶしが置いてある。言うまでもないが、かつぶしは調味料だ。竹内実咲はそう思っている。

 

醤油を森羅万象あらゆるものにかけて喰っちまう人、マヨネーズがないと人生が不安で不安で堪らない人、といったことが世間によくあるが、そうした意味合で実咲は、かつぶしの乗せ場所を追い求めてやまない人だ。山の彼方の空遠くに幸せがあると人は言うかも知れないが、人が何を言おうと実咲の山の彼方では、かつぶしがゆらゆらと踊っている。

 

隙あらばかつぶしを使いたいのが実咲における人情というもので、それは世間にいわゆる人情とは少し違うだろうが、つまり、已を得ないのだ。どうしても必要なのだから。ほどよき量のかつぶしを降らせたご飯が実咲にとっての日常なのであって、たまに、何もかけない真っ白ご飯をいただくのは、いつもいつも自転車で駅まで行くから今日は時間もあるし歩いて行ってみようかといった種類の、暮しに弾みを持たせるための気まぐれな変調に過ぎないのだ。

 

かつぶしほどの万能調味料はない、少なくとも日本で食生活を送る限りは。実咲は心底そう感じる。そうして、業務用の巨大なパック詰めのを買い込んで、せっせと消費している。そんなに好きなら本格的に、まるごと手に入れて鉋でかいたらと戯れに言った友人もあるが、それは面倒。いずれ老後の愉しみにでもと、これまた戯れに考えたりするのだった。

 

実咲がそうした嗜好を、何か他愛ないお喋りの間にでも示すと、一種の哀れみに近いような、隠微な気配をそれとなく向けられることが多い。スパゲティにだってかつぶしはよく合う、などと実咲が言い出すからだ。まともな味覚の破壊された可哀想な女だというわけだ。その気配は、実咲にはとっくにお馴染みのもの。そんなことは、わずかにさえ気に病むまでもないと実咲は考えているのだった。

 

何と何とが調和して、何と何とが調和しないか、それはどのように決っているのか。むろん、決っていない。決っていないから、美術展に男子用小便器を抛り出しておく芸術家が出たりする。それは一言に表せば、こころの健康のため必要なことだ、と実咲は理解している。世間から見て真っ当なことばかりする人が増えると、戦争が起きる、という風にも思う。

 

実咲の最近の新発明は、かつぶしトーストだ。

 

焼きそばパン、醤油ドーナツといったものがあるのなら、かつぶしだってきっと可能なはずだ。その信念の下、多少の試行錯誤を経て、かつぶしトーストが完成した。

 

豆腐の力を借りる。豆腐を潰して、かつぶしをどっさり混ぜ込んで、トーストに塗る。そうして焼いた上にも少々ふる。幸せがゆらゆらする。なんとすばらしい。

 

普通に見ればそれは「豆腐トースト」なのだがそんな呼び方は、実咲が許さない。あまりにも当然に過ぎる認識で改めて言うまでもないが、かつぶしを食べるために豆腐は存在するのであって決してその逆ではない。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「駅」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2014/8/4 11:48
スニペット「茶店」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「茶店」です。

 

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酒屋と居酒屋との違いとはまた違った違い方で、茶店と喫茶店とは違っている。そこへ茶屋まで入って来ると一層ややこしいことになるから止めておくとして何はともあれ、いわゆる喫茶店とは全く違う茶店が、ある。その茶店に軽谷日呂一という男が、いる。

 

このご時世に珍しくも軽谷は、和服を着込んで座っている。尤も時世としては珍しいが趣味としてはちっとも珍しくないのであって、街を出歩くとき和服で通している文人気取りといった種類の男は、それは趣味だから老人よりも却って若者の間に、ちょくちょくいるものである。軽谷もひょっとしたらその同類だろうかという匂いを漂わしている。見たところ、二十歳を一つか二つばかり過ぎたかという青年である。

 

茶店の緋毛氈に羽織の男と来ては、あまりに調和しすぎている。軽谷は何をしているのかと言うと、むろん茶店にいるのだから、茶を飲んでいるということになる。だがしかし茶を飲んでなんかいない。

 

誰もが常識的に承知しているように、茶を飲むために茶店に入るなどということは、およそほとんどあるものではない。

 

歩き疲れた足をしばし休めるために入るのであり、連れの友人なり恋人なりと落着いて喋るために入るのであり、ちょうど景色が良いものだからしばらく眺めるために入るのであり、茶店とはそうした場である。そうそう菓子を喰う目的で入るというのもあるが、軽谷の傍らに菓子皿は見当らないから、どうもそれではないらしい。

 

傍らと言えば、誰かしらの連れの人間もいないらしい。しからばやはり景色か、自然の風景に接して青年らしい詩情を湧かして物思いに耽っているのかと思えば、どうやらそれも違う。軽谷の眉間が、わずかに寄っている。

 

精神上の皺が眉間に現れるのと肉体上の訴えが眉間に現れるのとでは、その違いは見ればすぐ分かるものである。明らかに軽谷は、肉体的に疲れている。疲れるなあ面倒だなあという顔をしている。しかし軽谷はもう先刻から随分と長い間、座っているのである。小休憩のために茶店に座って、そのためにどんどん疲れてゆくのでは、あべこべである。

 

軽谷はぼんやりと茶店に座っている。

 

そこへカメラマンが寄って来て、姿勢のことや視線のことなど軽谷に注文を付け始めた。何か事情が変ったようで打合せに随分時間がかかったらしい。軽谷の整った顔立ちがすっと引締められた。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「調和」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2014/7/30 11:42
スニペット「回転」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「回転」です。

 

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雨が降る。傘がくるくるする。

 

人類は、雨に対して、傘を超越する発明をいまだ成し遂げてはいない。合羽はむしむしする。蓑はがさがさする。笠は、かなり理想に近いけれども用のないとき随分とかさばるし、帽子のようにずっと被っているわけにも行かない。折畳み笠というのも聞かないようだ。結局は傘が、それも洋傘が、それもナイロン洋傘が、広く用いられることになる。

 

傘は軽いのが望ましい。番傘とか蛇の目とかいうものは、あれは相当に重たい。京傘なんて、真っ赤に塗られて茶店に差掛けるオブジェとしての役目ばかりの不遇を託っているほどだ。実用性合理性ということなら、やっぱり西洋式に限るらしい。傘は軽くて、しかも丈夫なら言うことはない。

 

傘を開いて道をゆくとき、人は無意識のうちに、傘をくるくるする。独楽を廻すように、錐もみするように、くるくるする。

 

道が混雑しているとか土砂降りとかの状況なら別だがきっと、くるくるする。傘を開けばどうしても、くるくるする。その無意識ぶりは、長電話しながらコードを指に巻きつけるあの無意識行動にも匹敵する。傘が是非とも軽くなくっちゃいけないのは、じつに、この切実なる欲求のためだ。重たい傘はくるくるしづらくて困るから、つい避けられる。

 

回転とは力の源だ。水車も、エンジンも、銀河系も、回転だ。この宇宙原理が滴り落ちて発露するところの形而下現象として、傘は、くるくる廻る。人間が傘をくるくるするのではない、傘は傘であるがゆえに、くるくるするのだ。全くのところあの、開いた傘というものは、何とくるくるするのに適した形であることか!

 

それを傘におけるコギトと看做すこともできるだろう。傘廻る、ゆえに傘ありだ。形而上傘学の認識に立つ限り、必然的に、傘はくるくるせずにはいられない。大地に雨の降る限りは、人が傘を開く限りは、傘はくるくるする宿命にある。

 

雨が止んだ。強い夏空が戻って来た。

 

濡れたばかりのみずみずしい土手道を、小学生の男の子たちが通った。子供たちは、閉じた傘の柄を掴んで勢いよく、野球の三塁コーチよろしく、くるんくるんとぶん廻しながら通って行った。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「茶店」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2014/7/29 15:35
スニペット「森羅万象」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「森羅万象」です。

 

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ウルトラマン・ショーは森羅万象みたいである。少なくとも、コチュジャンと宇宙人とが似ている程度には似ている。或いは、ブッシュ大統領とムシューダ人形用との間柄である。

 

それもこれも全ては、滑舌が悪いせいである。

 

一体にそれは生れつきであって、骨格だか口蓋構造だか、仕方ない種類のことに属するのだろうけれども、それにしても如何かと思われる場合があって当人の心掛けを疑いたくもなる。電話口においてそれは殊に、顕著である。それも、どういうものだか中年初老の男性に多いというのはあれは、年齢相応に高い社会的地位を占めるようになって精神的に自己に安住しきっているせいだろうか。

 

ところが、心掛けと言うならじつは、より重要なのは、受信する側のほうである。全くのナンセンスに過ぎないのならばそれだけの話で終る。

 

頭の回転がとても迅く、想像力が豊かで、ちょっとばかり思込みが激しい、という性格の人間が受信側に廻った場合に、そのときにこそ世界は混沌に陥る。

 

それは、混沌ではあるけれども、それゆえにこそ、無限の可能性の拡がる地平である。アームストロング船長の一歩のように、小さくとも偉大なる飛躍をなしてみせることである。猪俣亜沙実にはその才能がある。東京都庁の話をしていたのを豊胸手術の話へと瞬時にして切り変えてみせるくらいは朝飯前である。

 

昨日は、亜沙実が街を歩いていたら通行人が、明朝体にこだわる焼肉屋の噂をしているのがふと耳に入った。通行人は通り過ぎて行った。

 

不思議な表現だが、きっとメニューはもちろん、看板まで明朝体にこだわって、すっきり書いてあるのだろう。確かにああいうものは、妙に勢いが良すぎて読めないくらい筆で書き殴ったような、どれもこれも似たり寄ったりという印象を受けることが多い。そんな中で明朝体とは、なるほど、却って目立つな。女性向けを意識した瀟洒なイメージの店なんだろう、ちょっと行ってみたいな、と亜沙実は考えた。それから、どうでもいいな、と思った。

 

買い物を済ませて家に帰った亜沙実は、冷蔵庫を開けた。備長炭の消臭剤がいつも置いてあるのだが、その見慣れたものが視線の端っこに入って来たときに亜沙実は、何かに思い当ったような気がした。それが何なのだか、ついに分からなかった。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「回転」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載