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hirano関数@2014/8/21 16:28
スニペット「人民」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「人民」です。

 

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見上家の人民は、二人と一匹と一本である。国なら国民なのだがならば家は、と考えると家民という言い方はないから已を得ず人民である。或いは臣民でもよいのだがそのわけは次にすぐ述べる。

 

人民と別格の存在として、君主があらせ給う。それはどなたか。唯一無二の存在たる一匹、こあじ様である。君主が一匹、人民が二人一匹一本。これを総合して序列を述べるならば、こあじ様、みかんちゃん、見上有子、見上剛三、柿、という順になる。

 

こあじ様は、お毛並が小鯵に似ておられたからこあじ様である。正確ではないがおそらく生後半年ほどのお歳のとき、見上家に臨御せられ、畏れ多くもそのまま当地を都と定められる由、ニャアと詔をお発しになられた。こあじ王朝の繁栄は以来、七年間に渡る。今現在のお毛並はあまり小鯵に似てはおられないようである。

 

みかんちゃんは、こあじ三年の夏のこと、ニャアと見上家に来た。こあじ様が既にあらせられるから、飽くまでもみかんちゃんは臣下である。だが、こあじ様に次ぐ地位である。こあじ様は女帝、みかんちゃんはその忠実な女官にして良き相談役にして元気な遊び相手、というところか。毛並がみかん色である。

 

以下の人民は、ただ臣下の務めとしてお仕え申上げる。

 

そう言うとまずお食事のことを連想する人が多いかと思われるが、こあじ様は畏くも英邁にあらせられ、不健康的な贅沢を排し、合理的で質素なお暮しをお望みである。かりかりとキャットフードを召上がられる。

 

尤も、人民の祭の日、たとえば有子と剛三との結婚記念日というような場合であるが、そんな折には、献上された上等の猫缶やかつお刺身をニャフニャフと嘉納し給う。みかんちゃんも御相伴に与る。

 

君主のお歓びは即ち人民の悦びに他ならぬ。有子も剛三もそのご様子を拝見している。柿は実る。

 

ちなみにこの柿は、見上家の庭に生えた立派なやつで、年にいっぺん甘い柿を実らせる。柿もさぞかしこあじ様へ献上という誉れに浴したかろうが、如何せん、こあじ様は柿をお好みになられない。柿は、見上夫妻に喰われることで間接的にこあじ王朝に貢献している。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「都」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2014/8/20 13:34
スニペット「リンカーン」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「リンカーン」です。

 

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誰もが認める偉人という人が誰もの中にいるものでそれは、人が後天的に学習して得る情報が如何に強く人に影響するかを示す。ワシントン、エジソン、リンカーンといった名が人気の筆頭に挙がって来る。そしてもし、ぱっとまず思い付く中にアメリカ人が多いとしたらそれは、現代日本が如何にアメリカに強く影響されて出来上がっているかを示す。

 

リンカーンはどんな偉人か。何しろ誰もが認める偉人だから、誰に訊ねても何かしらの答えが得られる。

 

曰く、奴隷解放。

 

曰く、人民の人民により人民のための政治。

 

曰く、あの「山にでかい顔」の人たちの仲間。

 

曰く、見知らぬ十歳の少女の指摘を受けてひげを伸ばした男。

 

曰く、南北戦争を起こしたボス。

 

曰く、アメリカ史上初めて暗殺された大統領という栄光の人。

 

曰く、先住民を迫害し黒人奴隷を解放した白人政治家。

 

後のほうほど皮肉がきつくなる。何しろ誰もが認める偉人だから、ついつい、誰もが答えることは避けて別のことを言いたくなったり、悪い所もあったぞと反発したくなったり、する。

 

あんまり偉人になり過ぎると、悪口を言われる。せっかく偉人になりそうでありながら偉人になり損ねると、凡庸無能と悪口を言われる。せっかく偉人になりそうでありながら悪人になると、暴虐非道と悪口を言われる。つまり、偉人になり得る立場にある人はすべて、悪口を言われる。

 

したがって、悪口を言われる人は偉人である可能性が高い。どうもそんな気がして来ることにもなる。過激な皮肉屋ならばこれを逆さまにして、偉人とは一般人の理解を絶した大悪人のことである、と言うだろう。

 

偉人になりそうもない立場の人はすべて、悪口は言われないが、忘れられる。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「人民」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2014/8/19 14:24
スニペット「直線」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「直線」です。

 

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チョクセンと渾名された中学校教師である。

 

香取先生がカトリセンコウとなる式で、直木や直崎といった苗字なのかと思うところだが彼は、丸瀬先生である。五十歳台に差しかかった円熟の、社会科教師である。数学ではない。

 

ならば顔つきが、体格がいかにも直線的に出来上っているのかしらんと思えばチョクセンはちんまりと小柄で、きつねよりはたぬきに、迷企羅大将よりはお地蔵さんに、リンカーンよりはガンジーに、長葱よりは玉葱に似ている。

 

そうした外面的プロパティが妥当しないとあらばあとは、性行ないし伝説ということになる。黒板での筆跡が直線的なのか、社会科らしく歴史時間軸の線を引っ張るのがたいへん上手なのか、直近とか直接とか率直とかの言葉を好んで口にするのか、運動会の徒競走リレー教師チームにおいて年齢からして驚嘆すべきすばらしい直線ダッシュを披露したのか。いずれも違う。

 

飽くまで渾名であり、チョクセンに直接チョクセンと呼び掛ける者などない。そんなことは不可能だと生徒たちは直観している。親でも教師でも、「友達みたい」なるタイプが広く親しまれる時代風潮があるようだが、チョクセンはどう考えたってそれと異質である。つまり昔気質の正統派である。

 

教師の渾名には二種類ある。一時的流行のみで衰亡するのと、幾世代にも受け継がれてゆくのと、である。

 

年が改まり新たな生徒たちが入って来ると、既にしてチョクセンはチョクセンになっている。如何なるメカニズムによることかじつに不思議である。当然ながらチョクセン自身もそれに気付いているが、さりとて、だからどうしたという種類の物事である。何しろ、同僚の教師たちまでがチョクセンのことを知っている。むろん、職員室でチョクセンに対してチョクセンさんなどと呼ぶ者がある筈もない。

 

あまりに長年に渡りチョクセンが伝承されたものだから、もはやその語源が忘却されているということは考え得る。しかし同時に、考え難い。なぜ根強く生き残るかということを具体的に想像してみれば当然である。伝承するに値するほどの、大勢を納得させる根拠が、チョクセンにはあるに違いないのである。何とも気になる。

 

ところが、それを訊ねるのは野暮の骨頂であるという、暗黙の合意までが醸成されているから厄介な話である。誰もそれを訊ねることは出来ない。なぜなら、それは野暮の骨頂だからである。それを押して訊ねればどうなるか。

 

「ねえチョクセンってなんでチョクセンなの」

 

「チョクセンだから」

 

誰もがそう答えるだろう。気になって仕方ないが、気になって仕方ないままに、チョクセンはチョクセンである。いずれ、気にならなくなる。かくて語源はますます遠くなる。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「リンカーン」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載

hirano関数@2014/8/18 13:03
スニペット「剣」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「剣」です。

 

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斬る、なんて安易に言うけれども戦の現場においては剣をそんな風に扱うことはかなり、少ない。当然ながら相手は鎧を着てもいる。

 

かぼちゃのように皮膚の硬い魚が、ばしゃばしゃ跳ね回っている。ついでにその魚の鼻先には鋭い棘がある。そのような川に踏み込む、という状況を想像してみるのが比較的近いかも知れない。

 

そのとき剣を握っているとして、剣をどのように扱うだろうか。

 

泥棒を撃退すべく慌てて台所に逃げ込んで包丁を手に取るとき、咄嗟に人はどのような構えを取るか。或いは、通俗的にでも思い描くスパルタの戦士が、どのような武器を携えているか。実際あれが自然であり、合理性というものである。なるべく遠距離で事を済ませたい。

 

遠距離で済まないということは、近く懐に飛込まれてしまったという緊急事態であって、そういう場合には、小回りの利く武器としての剣が必要となる。たとえば、俎板に乗っかっている豆腐に出会ってしまったというような場合である。

 

豆腐はぷるぷるしている。絹ごしである。

 

こんなにも脆弱なる存在に対して、一体なぜ、物騒なる刃物を持ち出さねばならないのか。指で以て適当な大きさにちぎるのではいけないか。それでは見栄えが悪いと言う。じつはそれこそが、むやみに直線的なものを好むという、人間の脳の、或る種の悪い癖ではないだろうか。

 

絹ごし豆腐は、ばらばらに斬り刻まれた。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「直線」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載